意識のシフトアップ、ターニングポイント

明日は2011年11月11日。

10月28日からのシフトアップのターニングポイントといえる日が
やってきますねぇ。
この期間中、心を揺さぶられるような出来事を経験された方も
沢山いらっしゃることでしょう。

何を軸にして物事を考えていくかで、大きく分かれていきます。
そのための準備期間であったとお考え下さい。

『あなた自身の思考が現実を創りだしている』
というのは、同じ経験をしても本人の意識のとり方の違いで
心に映るものが違ってくるということです。
心に芽生えた思考の種は、芽をだし実をつけていきますが
その種がどんなものかで収穫する実(現実)が
変わってくるということです。

だけどね、何度もいっちゃうけど、アセンションがあろうがなかろうが
関係なしに、ここが大事なところなんですよ。

アセンションってのは魂の試験があるらしいから
とりあえず勉強しなきゃいけないみたいだぜって話じゃないですよ^^;;

学校行くのめんどくせ~。
なんで勉強しなきゃいけないの~ってなった時、
めんどくさい~って気持ちもわからないではないけどさぁ
学校があるから勉強しなきゃいけないってのは違ってるでしょ^^;;
勉強して知識を磨くのは、あなた自身の成長のためでしょって話ですよね。
成長のためには一夜漬けで勉強しても、その場しのぎにしかならないってことも
わかりきってることですよね。
コツコツ積み上げていくことって大切ですよね。

この3次元を生きてる意味も変わらないと思いますよ。
どう解釈してもらってもかまいませんが
あなた自身の魂の成長のために、あえてこの3次元を
生きてるんでしょって。

成長させなきゃいけないから、全ての人を愛せなきゃいけない、
許さなきゃいけないってのもね、違うと思うよ。
私達は人間としてこの3次元を生きているんだから。
喜怒哀楽、全ての感情を経験する権利があるのさぁ。
その全てがどれが悪くてどれがいいではなく
どれも大切だからこそ、経験するんだよ~。

だいたい生きてて許せな~いっっっ!!!!!
ってことのひとつやふたつやみっつ……(以下略)
あって当然でしょう。
真の愛に目覚めなさいってのは、誰かのいいなりになったり
怒りを我慢して飲み込んで、なかったことにすることでもないよ。

世の中には、ホントに平気で人を裏切る人もいるし
ずるい人もいる。
その人を許す必要はない。
でも、その出来事に囚われて身動きできなくなってしまっても
いけないし、ただただ自分自身が辛いだけです。
その出来事は自分自身の成長の過程ととらえることができるか
どうかで、全然ちがう実がなるんですよ。

許さなきゃいけないんだ~って思えば思うほど
許せなくなるから。
許せなくていいって自分を認めてあげていいんだよ。
逆恨みとかでない限りね^^;;;
なんでもかんでも自分は悪くない、他人が悪いってのは
話の次元が違うから^^;;;;;

優しい人ほど許せない自分をせめてしまうから、
自分をせめなくていいんだよってことは知っておいてほしい。
あと、アセンションって試験があるから一夜漬けしとこうぜってのと
勧善懲悪を基盤にしたものの考え方からは離れたほうが
自分自身をもっと楽に幸せにしてあげれると思うなぁ。


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この記事へのコメント
ご無沙汰してます。

修業道中を歩んでいる私…3歩進んで10歩さがるの繰り返し、特に『愛すること』の意味に悩み葛藤する日々です。

記事を読み進めていくうち『全ての人を愛する…』このクダリを読んで、前述の悩みや葛藤の重しが、軽くなっているに気がつきました。

また元気に道中歩んでいけます(笑)!

いつも気付きを
ありがとうございます。 m(__)m感謝☆
Posted by にゃんくみ at 2011年11月11日 15:15
にゃんくみさん♪

コメントへの返信が遅くなってしまってごめんなさい。
時間がないときに、あわてて書きたくなかったので。

ワンネスでしょ?
全ての人と繋がってるなら愛さなきゃ
いけないんじゃないの?って思って
ボロボロになるくらい裏切られても、必死で相手を
信じようとしていた時期がありました。
苦しかったですねぇ・・・。(ため息)

深層意識では確かに繋がっているでしょうけどね、
『~しなければいけない』ってのは
自分の思い込みだったり、自我だったりするわけですよ。
私はこの自我が強すぎて頑固すぎちゃって。

自分がボロボロになっても相手に尽くすのは
悲しいかな、自分には大事にされる価値がないと
思っていることになってしまうんだなぁ。
そこまでしても、その相手を信じた結果がほしい。
結果がでないと自分が今までしてきたことって
なんだったの?
無意味で終わることが許せない。
だから執着してしまう。
なんで許せないのか。
それは自分を大切に思ってくれないから
言うことを聞いてくれないんだっていう思い。
価値がないって烙印を押されたってことへの怒りと悲しみ。
なんとかその烙印を取り消そうと、必死にあがいて
傷口は広がるばかり。

でも、結局は自分自身が自分に価値がないって
あがいてたんだよね。
その人に傷つけられたというよりは
自分で自分を傷つけていたのかもしれません。

人は弱いものだと思います。
だからこそ人を愛したり、信じたいと思うのだと思います。
そこから生まれる葛藤や苦しみは
弱く不完全である『人』だからこそ感じられる
特権なのかもしれません。
弱いからこそ強くあろうと生きる姿は、不完全だからこそ
輝き、美しいのかもしれません。
真の愛に目覚めるとは、そんな不完全な自分を
ありのまま認めて受け止めていくことだと思うのです。
それが正しいか正しくないかなんてわかりませんが
私が苦しみを経験したなかで得た結果のひとつです。
その想いを共有できることがワンネスなのではないでしょうか。
Posted by kyoko-mahalo at 2011年11月15日 09:43
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