意識から視る視点の違い

kyoko-mahalo

2011年10月11日 11:02

霊的覚醒や神人一体って言葉を最近よく聞くと思うんですけどね
霊的イコール霊界に属することと勘違いしてらっしゃる方が
多いことに正直びっくりしました。

いぁ、ホントにね偉ぶってるわけでもなんでもなく
素直に驚いたんだよ。
視えない世界は私にとって当たり前のものだったので
見てる視点が違っていたことに気が付かなかったんだ^^;;

あ、えーと、見てるってのは霊が見えてるの話じゃないですよ。
思考が創るリアリティの話ですよ。

そりゃなかにはさ、視えない世界を頭ごなしに
信じてくれない人がいることも知ってるよ。
妨害してくる存在もいるし、敵対心あらわにする人だっているさ。
でも、見えてる視点はみんな一緒だと思ってたから
わかってて意地悪するなんてひどいなぁって思ってたんだ^^;;;
視てるとこが違ってたんだね。
知らなかったよ^^;;;

昨日、E子ちゃんとご飯食べてるとき、
スピリチュアルの話になって、子供の頃の話をしたら
そんな時から霊団とか低級霊とか守護霊なんて
言葉を知っていたの?って驚かれて、こっちの方が驚いたよ。
言葉として認識するのは赤ちゃんのときには出来ないけど
生まれてからずっと意識するとかしないとかの問題じゃなく
真実としてそこにあるものだったから。

視える世界を中心軸として考えてたら、そりゃぁ霊的だの
神人一体とか言われたらなにそれ?!って話になるよね。
なんで神様と自分が一体なの?みたいな。
理解できないって言われるのも仕方ないよね。

視える世界が中心軸の時は全てのことが
自分対他人という意識のなかで物事が成り立ってしまいます。
常に自分対自分という意識の中で物事が成り立っていることに
フォーカスして下さい。

神人一体の神はね、外側の神様じゃないですよ~。
神様の力がおりてきて、神通力使うとかって話じゃないですよ~^^;;
自分自身の真我のことですよ。
内在神とか言ったりもしますね。
だから外側を求めてたら、内在神に繋がらなくて
いつまでたっても神人一体にならないんですよ。

内側に繋がることが、今とても大切なんです。
内在神とは誰もが持っている愛そのものです。
真我に気付いて発現していくこと
相手を無償の愛で包むとき、それは自己を
無償の愛で包んでいるということになるんです。
それが自分対他人という世界観ではなく
自分対自分という意識であったときにおこる究極の癒しです。
それが意識の拡大へと繋がっていきます。


昨日、エゴや自我の話、霊的覚醒の意味とかいろいろ話して
視点が違うから誤解されてることや理解できないことが
あるんだということに気付かせてもらいました。

こうやって文章にのせていくことって難しいなぁって
改めて感じました。
やっぱり一人ひとり感じ方が違うので…。

でももう逃げませんって言っちゃったしなぁ。
私がわかること、体験してきたこと、考えてきたことを
なるべく共有できるように伝えていきたいと思います。

その中で感じて頂くこと、思うこと…。
反感、不満でもかまいません。
なにを思われても。

私が正しいというつもりもないし
押し付けるつもりもないし。

ただ自分対自分という意識へのフォーカスを
大切にしていってほしいなぁ。
自由意志が認められているということは
選択権は常に自分がもっているということなのです。
そこを大切にして、忘れてほしくないなぁと思います。




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